読みたい本が多すぎる

読みたい本が多すぎる。されど人生は短い。

『オルタネート』加藤シゲアキ 1冊 / 3日目

不定記、と云いながら良いペースで書けている。つづいていくと、いいな。


7月某日


新潮文庫の100冊を読む。読まずにまごまごしていると、機会を逸するのでまずは一冊、手をつける。

例年は、気になった本を野放途に読んでいっていたが、今年からブログに経過を書いていく手前、一先ずは冊子に掲載された順に読んでこうとおもう。

と云ってもすぐ気が変わるのだけれど(どころか、新潮文庫の100冊以外だって、気にせず読んでいくんだぜ)。


新潮文庫の100冊には、いちおうのジャンル分けがあって、「恋する本」「シビレル本」「考える本」「ヤバイ本」「泣ける本」となっている。

ここ数年は順序もふくめてジャンル分けそのものは替わっていないが、年によっては「ヤバイ本」だったものが「泣ける本」に替わっていたりして、けっこういい加減である。

「シビレル」とか「ヤバイ」とか正直よくわからない。「泣ける」って最悪だな、とおもう。

そう考えると「恋する」なんてまずまずまともではないか。


その「恋する本」からスタートする。

トップバッターは加藤シゲアキ『オルタネート』。新刊だ。

いきなりのタレント作家かよお、とゲンナリする。今年の「新潮文庫の100冊」は、もう読まなくていいかな。。と思わせるに充分な破壊力、と云っても過言ではない。

もちろん、作家と作品に非はない、なんてことはわかりすぎるほどわかってるのだが、敢えて愚痴を吐きたくもなる。だってジャニーズ事務所だよ!?それも3冊も入ってるんだよ!?何らかの不当な圧力が働いたのでは、と勘繰りたくなる。

とは云え、読む。


はじめて読む作家である。(上では腐していた癖に)実はタレントとしての彼のことも、あまりよくは知らない。

以前『100分de名著』の夏休みこども向けスペシャルで司会をしていたのと、ドラマで金田一耕助を演っていたのを観た(『悪魔の手毬唄』)くらいで、いずれもあまり好い印象はもたなかった。だから小説もどうなんだろ、と疑問におもいながら読む。


妻は以前『傘を持たない蟻たちは』と云う短篇集を一冊読んだことがあると云っていたので、感想を聞いてみたところ、気持ち悪くてダメだった、と云うことであった。

妻は〈怖いこと〉が苦手で、それもホラーに限った話ではなく、どんな物語でも、或る種の〈危機〉、もっとも代表的なのは〈死〉だが、そういう〈怖いこと〉に直面すると、厭になって読むのをやめてしまったりする。

所謂〈物語のトンネル〉と云うやつで、僕のような本読みは、その先へ進めば拓ける(バッドエンドの場合ももちろんあるが、いずれの結末でも、いま通っている隧道は抜けられる)と知っているから、臆せずさきへ進むのだが(だって抜けたさきを見たいじゃないか)、妻に云わせればそもそもそんなトンネルは通りたくないらしい。


だから『オルタネート』もそういう〈怖い〉小説なのかと身構えて読んだが、全然そんなことはなかった。

青春小説である。

三者の物語が交互に展開する。料理、音楽、SNSと、それぞれに軸があって、話が進むにつれ三つが絶妙に絡んだり絡まなかったりする。

構成もさることながら、その繋げすぎない按配が見事で、巧い。

タレントとおもって舐めていたが(ごめんなさい)、かなり読みやすくて恐れ入る。

説明は全体的にぎこちないし、とくに風景の描写なんかとってつけたようで興が醒めるものの、それにしたってここまで読みやすい文章はなかなか書けるものではない。

小説にとって読みやすさは必ずしも重要ではないが、ひとつの特長にはなりうる。とくにいまのような、あまり本の読まれなくなっている時代では、大きな利点と云える。やるじゃん、ジャニーズ。


「オルタネート」とは、架空の高校生限定SNSだ。ただ、タイトルになってるわりには、あまり重要ではないように僕にはおもえた。中心というよりは背景として存在しているようなかんじ。

Wikipediaを読んでいたら、直木賞の選考ではこのSNSの設定の甘さが問題視され、結果的に受賞を逃した、と云うようなことが書かれてあった。

SNSの設定なんて、現実世界でもコロコロ変わるし、そんなに強固に描いてしまうと、それこそあっという間に古びていってしまいそうだけれど。

そんな設定云々よりは、既に当たり前のツールとしてそれが在る、てことが大事で、オルタネートの存在が、小説世界とそこで過ごす彼らの生活に、確たる実在感をもたらしているように読める。


因みにだが、このときの直木賞の受賞作は何だったのだろう、と興味をおぼえ記録を見たら、西條奈加『心淋し川』だった。

ああ、読んだよそれ。職場の先輩が呉れて。

これに授賞しちゃう直木賞ヤベえな、と思ったのを憶えている。むしろそのことくらいしか憶えていない。これがホントの「ヤバイ本」ではないか。

それよりかは『オルタネート』のほうが断然良い、と僕はおもう。

だから、高校生直木賞を受賞したのは、作者としては本家を貰うよりずっと嬉しかったんではないか。

登場人物たちの言動は、いかにもその年ごろの子たちっぽく描かれている、と僕には読めるが、それが同世代の読者にとって、どれほどリアリティのある話なのか、と云うのは正直、僕にはよくわからない。

高校生自身の選ぶ賞がこの小説に与えられた、と云うことは、人物たちの心象描写は同世代の読者にとっても充分な説得力があった、と云うことを意味するのではないか。

本家の選考委員の小父さん小母さんがゴチャゴチャ云うより、余程価値がある。と小父さん読者である僕はおもう。何とも痛快ではないか。


或る世代特有の生きづらさを、この小説は描こうとしているようにおもう。

現代的なことばだと、親ガチャ、などと云われる。運命、あるいは遺伝子などで置き換えてもいい。その時代時代によって要因はさまざま云われてきたけれど、結果として背負わされる辛さは、いつの世も共通なのかもしれない。

でもそれらは変えていくことができるし、自分の人生は自らの手で切り拓いてゆくことができる。努力するしないに関わらず、だ。

この小説は、作者から若い世代へ向けたエール、力強いメッセージなのかもしれない。


一冊目から思わぬ良作に当たって気分がいい。自分からはゼッタイ手に取らなかった小説で、こういう出逢いがあるから「新潮文庫の100冊」(というか広くは読書全般)は愉しいのだ。

加藤シゲアキはまだあと2冊もある。つづけて読む。