読みたい本が多すぎる

読みたい本が多すぎる。されど人生は短い。

アガサ・クリスティー失踪事件

十年日記、と云うのを手書きでつけている。その日遭ったことを、単簡に一行綴るだけだが、書きためていくと去年の今日、何をしていたのか知れて愉しい。ほとんどがその日何を読んだか、なのだけれど。
その日記によると、アガサ・クリスティーを読みはじめて一年ほどが経つ。さいしょに読んだのは短篇「料理人の失踪」で、デヴィッド・スーシェ主演のドラマ『名探偵ポワロ』(の再放送)を観だしたのがきっかけであった。ドラマの第一話が「コックを捜せ」で、放送回に併せて原作を順に読んでいって、はじめのうちは短篇が中心で、それから長篇も読むようになって、余裕ができると発表順に読んでいって、残すは数冊、というところまできている。おわっちゃうのが寂しい。
まあポアロが終わったらトミー&タペンスもミス・マープルも、ノンシリーズもまだまだたくさんあって、別訳や再読の愉しみもあり果てはないのだけれど。
大江健三郎は師・渡辺一夫に「ひとりの作家を二、三年集中的に読むと、その作家のことがよくわかってくる」と助言され実践したそうだから、ぼくもまだまだクリスティーを読まねばなるまい。

と云いながら今回読むのはクリスティーだがクリスティーでない。
ニーナ・デ・グラモン(山本やよい訳)『アガサ・クリスティー失踪事件』。
「料理人の失踪」からはじまって、一年越しの〈失踪〉繋がり、なんである。

実際の〈失踪〉事件は謎に包まれている。その謎に虚構を織りこみ、虚構のなかにさらに虚構が入りこんで、できあがった物語はやがて〈真実〉となる。
ポスト・トゥルース蔓延る現代に、小説の技巧はますます存在感を増すばかりだが(さいきんこの手の小説、多くない?)、虚構と真実の境界をもっとも巧みに行き来した人物こそ、のちのベストセラー作家アガサ・クリスティーであった。
井上荒野『あちらにいる鬼』やギリアン・フリン『ゴーン・ガール』、マーガレット・アトウッド誓願』、さらには村上春樹1Q84』的取り替え子まで、さまざまな小説が思い出される。
ただ、すべての要素がカチッとハマって、見事回収されてしまうあたりは、巧くできすぎているようにもおもえる。全体として、ややとっ散らかった印象になってしまったのが惜しい。
謎は謎のまま、そっとしておいたほうがよかったのかもしれない。

 

ニーナ・デ・グラモン『アガサ・クリスティー失踪事件』
Nina de Grammot, The Christie Affair, 2022
山本やよい訳 / 早川書房 / 2023年

「料理人の失踪」は短篇集『教会で死んだ男』に収録されている。