読みたい本が多すぎる

読みたい本が多すぎる。されど人生は短い。

新潮文庫の100冊を妻の代わりに(ときどきいっしょに)読む 0冊 / 0日目

日記は無理でも、週記くらいなら、とおもったけど、それも自信がないので不定期に、てことで気が向いたときに不定記を書く。


6月某日


妻は本を作る仕事をしているが、普段あまり本は読まない。

読めない、と云ったほうが正しいのかもしれない。育児の負担はどうしたって母親のほうが大きく(申し訳ない)、加えて仕事もしているとなると、一日の内の僅かな余暇に本を手に取る余裕など、時間的にも体力的にも、精神的にもない、と云うことになる。

それでなくったって、仕事で膨大な量の、本以前の文章を読まされている。仕事以外でわざわざ本など、読む気にならないのかもしれない。

大学の頃に人文地理学という講義で、牛を生産している地域では豚が、豚を生産している地域では牛がよく食べられる、という話を聞いたことを思い出す。本はあくまで売り物で、自ら消費するのには抵抗があるのかもしれない。

或いは、騎手の武豊は人参が苦手だという話を聞いたことがある。人参は競走馬の餌として認識されており、自分が食べるものではない、ということらしい。妻も似たようなもので──と、これはちょっと喩えがちがうか。


新潮文庫の100冊」を、2017年くらいからコツコツ読んでいる。

時季になると書店に置かれる冊子を貰ってきて、読んでいない本を順に読んでいく。

特に益はないが、自分からはゼッタイ手に取らなかっただろう本が面白かったり、と云う発見があったり、つづけていると読んだ本の冊数が段々と増えていって、ニヤニヤする。

そのうちコンプリートできるかな、と思いながら、何冊か読むと飽きてべつの本を読んだりしているうち、年が改まって何冊か入れ替わり、毎年半分くらい読んでる状態がここ何年かつづいている。


昨年、育休中だった妻が、私も「新潮文庫の100冊」読んでみようかな、と云った。

冊子を妻の分も貰ってきて、星新一ショートショートを読みはじめたものの、復職が決まって忙しくなり、読めなくなって辞めてしまった。僕も妻といっしょに読もうかなとおもっていたが、歩調を合わせるように昨年はほとんど読まずにべつの本ばかり読んでいた。


今年は、代わりに(ときどきいっしょに)読んでいこうかとおもっている。

先日書店へ行ったら、ちょうどコーナーが設営されていた。冊子をパラパラとその場で眺めて、さいしょの何冊かと、それからプレミアムカヴァーで読んでいない本を幾冊か買って帰る。

 

 

 

無料の冊子、さいきんはkindleでも無料でDLできる。